星野廉の日記

うつせみのあなたに

漢字の顔と表情

 漢字には感字の側面があるように思います。ひらがなやカタカナを見ると、それが形であることを忘れて、音に直して自分の中に入れている気がするときがあります。

 漢字はその形がダイレクトに目に入ります。暴力的に入ってくると感じることさえあります。

 痛い、いたい、イタい、イタイ

 並べてみると「痛い」がいちばん痛いです。イタイが目について痛いのはイタイイタイ病という言葉があるからかもしれません。ところで、「痛々しい」というと「かわいそう」という意味になるのは興味深いです。心が痛むということですね。

 五感が響き合う、つまり五感を別個のものとは感じないというのは、誰もが何かの形で日々経験しているのではないでしょうか。べつに超常現象とか神秘体験などではありません。そもそもヒトにとって五感は独立したものではないはずなのです。

 たとえば、テレビで手術の場面を見て痛いと感じれば、それは視覚や聴覚(メスが皮膚を切り裂く音、ジーッという電気メスの音、手術室の扉閉まる音……)によって痛覚にスイッチが入ったのかもしれません。同じ場面を見た別の人は、強い耳鳴りに襲われるかもしれません。口に酸っぱいものを感じて吐き気を覚える人もいるでしょう。視覚的なフラッシュバックを経験する人がいてもおかしくはない気がします。病院独特の匂いが急に嗅覚をはじめ聴覚や視覚や触覚や味覚を刺激することも考えられます。

 上の文章では、漢字をやや多めにしてあります。読むというよりも、目を細めて漢字だけの字面を見ても、なんだか厳めしいし痛い感じがしませんか?

 言葉で、痛くなることがある。きりきりしたり、ずきずきしたり、ちくちくすることがある。気持よくなることもある。せつなくなって涙がこぼれることがある。色が見えることがある。苦しくなることがある。においを感じることがある。むずむずしたり、ひりひりすることがある。お腹が鳴ることがある。誰かの声がするような気持ちになることがある。背中を撫でられたような気がすることがある。足もとをすくわれたような感覚に陥ったことがある。体がほてってぽかぽかしてくることがある。

 今度の上の文章では漢字が少なめなのですが、とくに「きりきりしたり、ずきずきしたり、ちくちくする」の箇所を声に出して読むと、痛みを思いだしてたまらない気持ちになります。ダイレクトに痛みが目に飛びこんでくる感じはしません。全体的にひらがなが多いので、やさしくやわらかい感じがしませんか? ひらがなは体にじわっと入ってきます。「いまから入るけど、いいかな?」というやさしさがあるのです。

 漢字が感字であるのは、「絵」だからという気がします。絵は有無を言わせずずばり入ってきます。どこにって、身体です。「いまから入るけど、いいかな?」なんて配慮はみじんもないのです。

 腹痛、胃痛、歯痛、頭痛、腰痛、胸痛――痛む箇所が一目瞭然です。
 疼痛、激痛、劇痛、鈍痛――どんなふうに痛いかがよくわかります。
 苦痛、心痛、沈痛、悲痛、哀痛――見ているだけで心が苦しくなってきます。
 鎮痛、鎮痛剤、緩和ケア――見ていると痛みがおさまるような気持ちになります。
 痛快、痛切、痛飲、痛烈――程度が「いたく」つまり「激しく」迫ってきます。

 漢字は絵であり顔でもあると思います。その字面に表情を感じるのです。「痛」という顔が痛いと言っているのです。すると即座に私の中にある「痛い」が共振します。

 人は痛みから逃れられません。私はこれまでにいろいろな病気になり、いまもかかえ、さまざまな痛みと苦しみを経験してきました。これからも、痛みと付きあって生きなければなりません。

 やはりすがるのはお医者さんとお薬です。もちろん、看護師さんや薬剤師さん療法士さんを忘れてはなりません。入院をすると、いかに多くのスタッフにささえられているかがわかります。

 医方、漢方、和方、医学、医術、蘭学、独逸医学、現代医療、現代医学、東洋医学、西洋医学――。医学や医療ではじつに多くの漢字がつかわれています。カタカタの専門用語も多いですね。

 言葉が「外」から入ってきたのと同様に、古来から医学と医療ではさまざまな国々や地域の技術が導入されてきたのでしょう。

 杉田玄白前野良沢などが並々ならぬ苦労をして『ターヘル・アナトミア』を翻訳したという話を思いだします。その成果が『解体新書』ですね。言葉と医学・医療は密接に結びついています。

「どこが痛みますか?」「どんなふうに痛みますか?」

 お医者さんが問診で尋ねる言葉です。私たちはそれに対して、体の部位と、ずきずきとかきりきりといった言い回しで答えます。いまではお医者さんはパソコンでカルテを書いています。つい遠慮して、画面にはあまり目をやらないようにしているのですが、ちらりと見るとそこには漢字とカタカナがあります。

 数字を忘れていました。数字も文字で、顔と表情があります。ある検査項目の数字が、ある患者にとっては痛さや苦しさの印となるという意味です。私にも心当たりがあります。数字に一喜一憂するわけです。

 かつてうちのかかりつけだったお医者さんは、外国語でカルテを書いていらっしゃいました。筆記体でした。女性で、数年前に百歳ちかい高齢で亡くなったのですが、あのカルテは、英語だったのかドイツ語だったのか。字面が思いだせません。目に浮かぶのは先生のやさしい顔と表情だけです。