星野廉の日記

うつせみのあなたに

写される、撮られる、奪われる

写真をとる、とられる

 写真を写す、写真を移す、写真を撮す、写真を撮る。

 私はふだんは「写真をとる」と言いますが、そのときに「撮る」という漢字は浮かびません。「写真を撮る」と書いた記憶がほとんどないのは、写真を撮る機会がないからでしょう。

 撮ってもらったこどものころや若いころの写真はたくさんありますが、自分で撮ったものは少ないです。スマホで撮ることもめったにありません。写真は私にとっては「とられた」ものなのです。受け身の過去形です。


手で「と」る

「とる」が気になって辞書を見てびっくりしました。二つのことに驚いたのです。

 一つは、「とる」を辞書で引いたことがないのに気づいたこと、もう一つは、「とる」の語義と例文の多さです。

「とる」は私にとってはわくわくする言葉ではありません。だから、辞書で調べたことがないのだと思います。うすうす感じてはいましたが、言葉に関して自分がかなり「偏食」していることに気づきました。

「とる・取る・採る・捕る・執る・撮る・盗る・摂る・獲る・録る・(照る)」

「手」と同源という記述が衝撃的でした。

 手でとる、「て」で「と」る。

 言えています。わくわくします。

 たしかに「手でとる」場合が多いですね。手で何かをわしづかみにする、手でにぎってとる、手でつかんでとる、指を曲げて引っ掻くような手つきでとりよせる、手で引っ掻いてとりのぞく。

 そのときの手の形が見えるようです。文字につられて無意識にその手つきをしている自分がいます。


作文

 言葉は文の中で生きます。「とる」はたくさんありますが、気になった「とる」を使って作文をしてみます。

 ネズミをぜんぜん捕らないうちの猫がスズメを捕ってきた。
 手取り足取りでやり方を教えてもらった。
 免許を取って、何年になるの?
 お互いに年を取ったものだね。
 痛みを取る薬の服用には気をつけたい。
 それは明かりを採るための天窓だよ。
 文字どおりに取ると馬鹿を見る。
 舵を取るのがうまい人とへたな人がいる。

 この数年間写真を撮ってもらっていない。
 この書類のコピー(写し)を二部とってください。
 ねえねえ、あの番組を録ってくれた?

 なかなか面白いですね。初めて辞書で引いた「とる」がこんなにわくわくするものだとは思いませんでした。きょうの収穫です。

 たしかに手を使っての「とる」が多いので唸ってしまいました。


とる、うつす、うつる

 当り前ですが、「とる」とその瞬間に、あるいは次の動きとして何かが移ります。移動するのです。当り前ですが、感動してしまい、さらには考えこんでしまいます。

 話がどんどん広がりそうなので、「写真を撮る」に絞ります。

 村人のこどもの写真を観光客が撮ったことが大騒ぎの原因となった。

 いま即席に作った文ですが、何かで見聞きした話です。

 写真を撮ることがタブーの社会があるそうです。これは何となく分かる気がします。

 とる、取る、捕る、盗る。

「とる」とは、何かを「奪う」ことである場合がありそうです。何を奪うのでしょう? 大切なものでしょうね。それも、かなり大切なものです。

 命、心、魂、未来、財産。


奪われる

 人の写真を撮る、その人の姿を捕る、その人の姿を写す、その人の何かを写す、その人の何かを撮る、その人の何かを録る、その人の何かを盗る、その人の何かを奪う。

 大ごとですよ。大変なことになりそうです。私もとられたくないです。うつされたくないです。うばわれたくない。

 この気持ちには始原的なものを感じます。頭で理解できると言うよりも、体で分かるたぐいの感覚ではないでしょうか。

 何者かに拉致され、連れて行かれたところで、写真を撮られた。

 これは怖いですね。でも、ありえます。いまの世界情勢を見ていると、ありえるし、似たようなことが起きているようです。

 カメラは手に持って撮ります。カメラには目があります。レンズのことです。その目が盗るのです。奪うのです。


写、射、斜、車・指す、差す、刺す、射す、挿す

 カメラの中にはレンズの部分が長いものがあります。銃を連想します。

 英語では写真を撮ることを「shoot」と言う場合がありますが、「射撃する」という語義もある単語です。ツーショット(two-shot)は、ここから来ている映画用語だったようです。shot は過去分詞でしょう。

 発射する、矢を射る、爆破する、突く、注射する、放射する、シュートする、芽を出す、言葉を連発する。

 shoot には、こんな語義もあります。そうです、あえて書きませんでしたが、あの意味もあります。あらためて見ると、圧倒されますね。

 写、射、斜、車、シャッター、カシャッ、射る、入る――こういう感じがするのです。
 指す、差す、刺す、射す、挿すのです。何度も何度も。そして射る、入るのです。

(拙文「なぞる、なする、さする、なでる」より引用)

「写真を撮る」に相当する英語としては、take pictures や動詞の photograph が浮かびますが、shoot の生々しさと激しさには圧倒されます。sh という子音と oo という長母音の組み合わせが恐怖をそそります。

 なお、shという摩擦音については、蛇が動くさいに出る「シュシュ」という音を連想させるという説があるそうです。恐怖を覚えるとすれば、ヒトの遠い記憶が呼びさまされるのでしょうか。

 そういえば、蛇も銃も望遠レンズもあれも長いですね。足のことですよ。いまのは蛇足ですが。


「見る」は暴力

 ドSな目とか、ドSな眼差しという言い回しがありますが、「見る」行為にはサディズムの匂いがします。

 しかも、一方的に見る行為は、相手を傷つけます。相手が見られていると知っていても分かっていても、盗見られているのを知らなくても、傷つけていることに変わりはありません。

「見る」は、暴力なのです。「見る」は、奪うことであり、奪われた相手は萎えます。弱るわけです。何かを吸い取られたと感じる人もいるにちがいありません。やっぱり「とられる」のです。

 連想するのは、いわゆるポルノなどの性的な映像ですが、それだけではありませんね。どんな映像にも暴力の匂いや力関係(マウントを含めて)がともなうと言えそうです。

 あと、いわゆる不祥事を起こした芸能人に向けられるレンズの長いカメラの放列や刺すような視線も暴力でしょう。

 そうした映像を視聴することで、暴力や犯罪に加担する場合もありうるのです。(※偉そうなことを言って申し訳ありません。はい、私も見ていました、ごめんなさい。)

 被写体という言葉が痛々しく見えてきます。


映像に囲まれた世界

 みる(目)、とる(手)、うつす(移動)、うばう(消える・無くなる)。

 うつす、写す、映す、移す。

 これは「移っている」ではないでしょうか。影という実体のないものではなく、紙と鉛筆の粉、印画紙、フィルム、画素に形や模様として存在しているわけですから、「移った」という気がします。

 気がするどころか、移った影は人の外にあって物として確認できるのですから、「移った」と言わざるをえません。しかも残るんです。

 すごすぎます。こんなことをしているのは、この星でヒトだけです。人はとんでもないことをしているのです。

「写す」は「移す」であり「残る」。

 何かに似ています。

 分かりました。あれです。

 後で触れることになると思いますが、文字に似ています。文字は、写り(複製)、移り(拡散)、残ります(保存)。

 こんなものは地球上に文字以外にないのではないでしょうか。人はこの時点でも、せっせと写し、移し、残しています。

(拙文「うつるとうつすで影を編む」より引用)

 私たちは映像に囲まれて生きています。持論なのですが、文字も映像ではないでしょうか。漢字の象形文字的な性質とは別にです。

 文字を見て、私たちは像(イメージ)を思いうかべたり、思いえがきます。これは、文字を学習した成果とも言えますが、よく考えると驚くべきことに私には思えます。謎なのです。

 映像であれ、文字であれ、その根っこには「うつす」があるようです(文字は書き写して覚え学習します)。「うつす」があれば「うつされる」もあるはずです。

 めちゃくちゃこじつけて、ごめんなさい。

 みる・みられる、うつす・うつされる、とる・とられる、うばう・うばわれる。

 単なる「見る」が「奪う」に容易に移り変わる世界に、私たちは生きているのではないでしょうか?

 テレビやネット上には、連日祖国から身を移す人たちの映像が映しだされています。 奪われた姿を撮られていると言えます。それを私たちは自宅で見ているのです。あの人たちも、少し前までは見る立場にいたのです。

 私たちは、必ずしも「する」側にいるのではなく、「される」側にいるもいる。このことに敏感でありたいと思っています。