星野廉の日記

うつせみのあなたに

「鏡に映る」ではなく「鏡に移る」世界

 ぐん、ぐん、ぐうん、落ちること落ちること。いつになったらおしまいなんだろう。

ルイス・キャロル作『不思議の国のアリス矢川澄子訳より)

心変わり、心移り

 自分の中に起こりつつある「映る」から「移る」への心の移行を感じます。

 この記事には「写す」「なぞる」「似ている」「なりかわる」も出てきます。

「うつす、映す、写す、なぞる、似る、似ている、似せる、なりかわる、かわる、なる」「本物、偽物、本体、写像、影」という、一連の「つながり」と「うつり」が見えてきた気がします。あくまでも個人的なテーマですけど。

「うつる、移る、写る、映る」の中で「移る」が浮いたもの、つまり他の「うつる」とはちょっと違うのではないかという、違和感および異和感があったのですが、いまでは「移る」と「写る、映る」のつながりと重なりがリアルに感じられます。

 心変わりをした気分です。数日前に辞書を見ていて知ったのですが、「心移り」という言い方もあるのですね。何かで読んだ記憶も、自分が使った記憶もありません。

「うつる・うつす」に興味を持たなかったら知らずに終わった言葉かもしれません。会えてよかったと心から思います。ぜひ使ってみたいです。


「鏡に移る」としたら、怖くないですか?

 辞書の中に並んでいる言葉たちは死体に似ています。体の中心にピンを差しこまれて陳列されている昆虫の標本みたいなのです。

 綺麗だけど動きが感じられないもどかしさがあります。

 言葉は文の中で生きます。作文をすることで、その生きざまをなぞることができます。

「写る・写す、映る・映す」寄りの「移る・移す」を意識的に使って作文をしてみましょう。

 作文の前に整理します。

*「移る・移す」:本体、移動
*「写る・写す」:像、写真、転写、模写、複写、複製、コピー
*「映る・映す」:像、影、鏡、映画、映写、反映、反射

「移る」では、「本体」が動いて移る、つまり移動します。「写る・映る」では、「本体の像」が写ったり映る、つまり転写されたり映写されるのです。 

 そうだとすれば、かなり違いますよね。あるものがそのまま移動するのと、その像や姿形が写されたり、映しだされるのとは根本的に異なるように思われます。

 鏡で考えてみると、「鏡に映る」ではなく「鏡に移る」となりますが、こんなことが起きたら怖くないですか? 鏡に移るんですよ。文字どおりに取って想像すると、不思議だし不気味に思えます。

 では、「鏡に移る」的な「写る・写す、映る・映す」寄りの「移る・移す」を使って作文をしてみます。


作文

※つながりのない例文を続けて読むのは苦痛でしょうから、ざっと目を通していただくだけでも、かまいません。

 彼が別の女性に心を移したために、婚約者は心身ともに病むようになった。
 情が移って面接のさいに差し障りが生じた。
 花に見入っていた彼女はとつぜん視線を息子に移した。
 敵の注意を他のものに移すには、どうしたらいいだろうか。
 柔軟剤の匂いがシャツから上着にまで移り、染みついてしまった。(移り香)
 次から次へとあくびがうつり、ほとんど同時に合わせて二十人の聴衆が手で口を被ったり、下を向いてあくびをかみ殺す事態となった。
 その疫病は空気でうつるという話だ。(感染、伝染)
 炎がつぎつぎと周辺の木々にうつった。(延焼)
 時が移り、人も変わった。(経過)
 時を移さず実行に移せ。

 壁にいまはもういないあの人の姿が映っているように見えた。(人影)
 鏡に自分の姿を映したところで、見えないものは見えない。
 いま、あなたの心の鏡に映っているものは何?
 水面に映る建物の影が黒く広がった染みのように見える。
 あの事件が起きてから、テレビがよく映らなくなった。
 スクリーンいっぱいに人の顔が映り、館内が騒然となった。
 フィルムの画像が映写機を用いてスクリーンの上に映しだされただけなのに、初めて映画を見たその子は、大声を上げて手がつけられなくなった。
 あの光景が目に映るようです。(目に映ずる)
 あなたの心に映っているその思いを見ることができればいいのに。
 その動画には、事件当時のその場の空気が映しだされているかのようだ。(反映)

 ガラス越しに写る樹林がどこか不自然な輝き方をしている。(透けて見える
 その写真の隅っこに写っている人物が誰なのか、私たちには心当たりがない。(写真)
 彼は今年に入って般若心経を五十回も写したらしい。(写経)
 その作品はその凄惨な光景を克明に写した小説だと言われている。

 村人たちは、写真を写されると(撮られる)と魂が取られると信じている。(撮影)

 息子が失踪したのは、狐の霊が乗り移ったからだと女性は言い張る。(取り憑く)


魂や心が移る

「写る・写す、映る・映す」寄りの「移る・移す」の例文だけでなく、「移る・移す」寄りの「写る・写す、映る・映す」の例文も書いてしまいました。

 自分で作った例文ですが、要するに姿や像だけでなく、魂や心が移るというイメージの文だと気づきました。自分で勝手に書いて気づいていれば世話ないですよね。

「鏡に映る」ではなく「鏡に移る」は、かつてはリアルな感覚でありリアルな体験だったのではないでしょうか? 

 それが二十一世紀のいまでは「鏡に移る」ではなく「鏡に映る」になっている。テレビ、映画、ネット上の映像のことです。

 そう考えると、ぞくっとします。自分で勝手に考えて、勝手にぞくっとしていれば世話ないですけど。


「何か」に「何か」や「誰か」を見てしまう

 水面に見た自分の姿を見て、恋をして水面に落ちた。そんな神話が西洋にありましたね。

 映った形や影に、「誰か」や「何か」を見てしまう。あるいは自分を見てしまう。

 壁の染みや空の雲に、「誰か」や「何か」を見てしまう。月の模様に、「何か」を見てしまう。

 自分が、あるいは誰かが描いた形や模様に、「誰か」や「何か」を見てしまう。

 自然界にあるものにせよ、人が作ったり描いたものにせよ、映った形や姿に、「誰か」や「何か」を見てしまう。これをもう一歩進めれば、そこに魂や心を見てしまうになりそうです。


「鏡に映る」ではなく「鏡に移る」

 原始的ですか? 始原的ですか? いかにも大昔の人っぽい行為に思えますか? 現代人のすることじゃない気がしますか? あるいは、こどもっぽいですか?

「何か」に「何か」や「誰か」を見てしまうは、二十一世紀に入って二十年を過ぎたいまも、続いているようです。

 人形や玩具だけでなく、漫画、絵、アニメ、映画、テレビ、スマホの画面、パソコンのモニターに、うようよ像が映しだされています。

 物や、影や、絵の具やインクの染みや、画素の集まりに、「何か」や「誰か」を見るだけでなく、魂や心や気持ちを見ているのです。

 さもなければ、話しかけません。笑みを浮かべたり涙を流したりしません。ましてや、愛の対象になどしません。夢うつつや夢にまで見ることもないでしょう。

 繰りかえします。

 像だけではなく、魂や心や気持ちが映しだされているのです。だから、話しかけます。アイドル(偶像)として崇めます。愛や恋愛の対象にもなります。

 キャラクターや絵やCGだけではありません。そこそこ古くから人気のある人の写真や映像や動画も、いまだに人気があります。

 ゲームなしでいられない人がたくさんいます。ゲームに実体がなくてもかまわないのです。

 むしろ、実体がないから楽しいし熱狂できるのかもしれません。影ほどわくわくするものはないようです。大昔に洞穴で影にわくわくしたのと同じです。

 熱狂するというのは、はまることです。依存とか嗜癖とも言えるでしょう。それなしではいられないということですね。

 仮想現実では、自分自身、自分の分身がまぼろしとなって、動いてくれます。こうなると、それは自分なのか、自分ではない「誰か」なのか、自分ではない「何か」なのかさえも不明になります。

 自分が影になるのですから。体といっしょに魂も影になるのですから。

 べつに神秘体験とか、超常現象の話をしているわけではありません。誰もが日常で経験しているリアルな話なのです。

 こういう世界では、「本当」と「本当じゃない」、現物と複製、複製と複製の複製、本物と偽物の区別もできなくなります。

 戦争が起こると、いま言ったことがリアルに立ちあらわれます。現にそうなっていませんか?

 すべてがまぼろしであり、すべてが影なのです。

 これは「鏡に映る」どころではなく「鏡に移る」ではないでしょうか?

 いまも大昔も、「映る・写る」と「移る」の境が曖昧で不明になっているし、なっていたのではないでしょうか?

 もう移っているのです。とうの昔から。移るんです。うつるんです。

 安心して楽しめそうです。いま始まった話じゃないんですから。いまさら悩む話でもありません。

 人は初めて水面や鏡を覗きこんで以来、心変わりも心移りもしていないもようです。

 これが人なんですね。これでいいみたいです。

 鏡に映る世界ではなく、鏡に移る(鏡に移った、かもしれません)世界に、私たちは住んでいるのです。

 ただし、鏡に移ったのはいいけれど、落っこちないように気をつけましょう。むこう側に移ったのはいいけれど、戻るのを忘れないように気をつけましょう。

 つぎの瞬間、アリスは鏡をくぐりぬけて、むこう側の部屋にかるがるととびおりていた。

ルイス・キャロル作『鏡の国のアリス矢川澄子訳より)