星野廉の日記

うつせみのあなたに

陰に光を当てる

影の薄い陰

 影ばかり見てきたので、影の薄い陰にも光を当ててみたいと思います。複数の辞書で陰を見ると、陰は影の陰に隠れているようで、じっさいにはなかなか興味深い存在感を漂わせていると気づきます。

 陰に光を当てることで、その影が薄まるどころか、濃くなりそうな気配を感じるのです。「隠然たる」という言い回しがありますが、陰には隠然たる存在感があると言えそうです。それは淫靡でもあります。

 陰獣、陰湿、陰険、陰画、隠微、隠喩、淫蕩、淫乱。

 後で触れることになるでしょうが、このように陰と隠と淫は音読みをすると韻を踏んでいるだけでなく、イメージにおいても韻を踏んでいる気がしてなりません。

 ぞくぞくするのです。


作文

 まず作文をしてみましょう。

 散歩の途中に木の陰で一休みした。
 犬が木陰で身を横たえている。
 岩の陰に身を潜める。
 物置の陰でこっそり煙草を吸う。
 二人は岩陰に身を隠した。

 陰は「休む」や「隠れる」と相性がいいようです。

「岩陰」というのはなかなか意味深な場に感じられます。岩に普通ではない「何か」を感じるからかもしれません。

「木陰」とは違った「何か」が漂ってきませんか? 私は「岩陰」に「におい」を感じます。湿ったにおいです。木陰と違って風がないからかもしれません。ああいうところには、苔が生えていてもおかしくないのです。

 後ほど触れますが、岩や大きな石を信仰や崇拝の対象としている例が多いことも、そうしたしっとりしたイメージに結びついている気がします。


岩陰で二人がすることは

 ところで、上の最後の例文で岩陰に身を隠した二人は何をするのでしょう。

 この二人を男女として読んだ方は多いと思われます。べつに男女じゃなくてもかまいませんが、隠れた二人が何をするのかが気になります。

 ふたりの間には「何か」があるはずです。「あれ」でしょうか。「なに」でしょうね。そうです、「それ」ですよ。

 このように代名詞という名詞の代わりに使う言葉は、モザイクでありぼかしです。いやらしく感じて当然なのです。

 今回は、そういう「なに」の話もすることになります。陰、隠、淫、韻ですから、当然なのです。

「二人は岩陰で愛を確かめた」。上品な言い回しですね。

「二人は岩陰で愛を誓い合った」。愛を誓い合うとは遠回しですが、やっぱりあれでしょうか。

「二人は岩陰で愛を交わした」。かなり核心に近づいた表現ですね。交は「かわす」だけでなく「交わる・まじわる」も連想させます。「まじわる」となると、辞書にはそのものずばりの語義が出てきます。「愛をかわす」が「愛を躱す」になると、いま述べたのとは真逆の意味になりそうです。

「二人は岩陰で愛をささやき合った」。遠回しなだけにかえっていやらしく響きます。陰で唇が動くさまが目に浮かぶようです。露骨に書いてごめんなさい。

 以上の各文は「二人は」と「岩陰で」と「愛を」という三つの要素に、「動作と様態」がからまり、絶妙な雰囲気を醸しだしたセンテンスと言えそうです。

 まさに陰と隠と淫のハーモニーです。


ネガとポジ

 陰の反対は陽だと言われています。

 陰陽、山陰、山陽、陰画(ネガ)、陽画(ポジ)、陰性(negative)、陽性(positive)、陰気、陽気、陰極(-)、陽極(+)、陰暦・太陰暦(月)、陽暦太陽暦(太陽)

 いわゆるネガとポジの関係性が、こうした対をなす言葉にあらわれているのは、みなさんご存じのとおりです。

 日が当たるか当たらないかから、イメージがうつり変わるわけですね。とても興味深いです。勉強になります。

 さきほど岩陰の話をしましたが、岩が崇拝されたり、信仰の対象になる場合には、岩の形が大きな役割を果たしているようです。形には両方あります。

 両方というのは男女のことです。男性のあそこそっくり形状の大きな岩は見事なものとして尊敬されます。パワーのシンボルという感じです。

 女性のあれにもそっくりな奥行きのある岩も崇められます。これも出産や子沢山など豊かさのシンボルとして敬われるみたいですね。奥行きがあるのですから湿り気を帯びていそうです。

 どちらもよく分かる気がします。頭で分かるというよりも体感的に分かる感じ。下半身にぬるま湯を掛けられたように、じわっとくるのです。変な譬えをしてごめんなさい。

 写真で見るとよく分かります。ヒトとしての太古の遠い記憶が呼びさまされるのかもしれません。手を合わせたくなるのです。

 陰部という言い方も興味深いです。男女共通です。隠す場所というイメージでしょうか。「女」と「陰」を組みあわせる言い方もありますね。「陽」と「物」をくっつけると男性のシンボルになります。

 女性を陰、男性を陽とする分け方がおこなわれてきたと言えそうです。「君は月、僕は太陽」とか「あなたは太陽、わたしは月」と言う一方で、「君は僕の太陽だ」とも言うフレーズもあります。

 英語になりますが、「You are my sunshine.」がタイトルの曲もありますね。「日向・ひなた」という名前が女性に付けられている例も、よく見られます。

 陽子さん、月子さん、月と書いて「るな」と読ませる場合もありますが綺麗ですね。

 広がりすぎました。話を陰に戻しましょう。


陰と隠でイメージの韻を踏む

 陰を使った言いまわしを見てみます。 

 お陰さま、陰の実力者、陰で支える、陰ながらご成功を祈ります、彼女の人生には陰がある、陰に回る、陰で悪口を言う、事件の陰に女あり、陰で取り引きをする、陰で糸を引く、草葉の陰から見守る

 ポジティブにもネガティブにもなりえますが、基本は「隠れて」とか「人目につかない形で」のようです。陰と隠のイメージの韻を感じます。やや無理はありますが、こじつければ、淫に傾いた例や場合も想像できますね。

「陰の実力者」で連想するのは、「影の内閣(shadow cabinet)ですが、これは英語からの訳語だそうです。野党が陰で「組閣」して牽制するのでしょうか。

 影武者も思いだします。陰にいて敵をあざむく場合と、黒幕として陰で首謀する場合の二つの意味があるようです。


陰の隠然たる存在感

 ひらがなの「かげ」はなんて頼りなげな字面をしているのでしょう。そのはかなさは、まさにかげではありませんか。かげろうのように心もとないのです。

 一方で漢字の「影、陰、蔭、翳、景」はなんと堂々としていることか。厳めしく偉そうにさえ見えます。

 日本語において、漢字は「ない」を「ある」と錯覚させる装置ではないかと言いたくなります。

 漢語はないことをあると思わせる(におわせる、ほのめかす、ふりをする)日本語における仕組みではないか、なんて思ってしまいます。無い無い、無無なんていくら言っても、あるあると暗にほのめかしているのです。

(拙文「【小話】存在と無が、存在と存在に見えるという話」より引用)

 個人的な印象ですが、「影、陰、蔭、翳、景」でいちばん陰の薄いのは陰だという気がします。蔭のほうが画数が多いだけ、まだ存在感があります。

「影15、陰11、蔭14、翳17、景12」というふうに画数で見ると、やはり陰は負けています。一画違いの景はシンメトリーによるプロポーションがダントツです。立ち姿が綺麗ですね。翳はまさにかげっていませんか? 影はバランスが取れて美しい。

 やっぱり陰は見劣りします。

 それでも陰には隠然たる存在感があります。

 何か、こう、じめっとしてるし、じとっとした湿度が感じられるのです。おそらく、陰、隠、淫とイメージの韻を踏んでいるからではないかと踏んでおります。

 それが露わになるのは漢字を使った熟語です。

 陰獣、陰湿、陰険、陰鬱、陰気、陰膳(かげぜん)、陰謀、陰蔽(隠蔽)、夜陰、陰嚢、陰萎、陰惨、陰間(かげま)、陰舞(かげまい)、陰子(かげこ)、陰(いわかげ)、木陰(こかげ)、緑陰、山陰、陰雲、涼陰、藪陰(やぶかげ)、陰生植物、陰陰、陰陰滅滅

 こうやって見ていると陰の姿形という意味での陰影には、湿度、不気味さ、曖昧さ、得体の知れなさ、涼所感、低温感、いかがわしさ、卑猥さ、背徳感が漂っています。

 いい味を出しているではありませんか。素晴らしいと思います。私は好きです。

 なお、上の熟語の最初に挙げた「陰獣」は江戸川乱歩の中編小説のタイトルでもあるのですが、 「陰性のけだもの、特にキツネ。」と、ネット上の「精選版 日本国語大辞典」では説明されています。

 ぞくっとする字面と音の響きのある言葉ですね。江戸川乱歩の『虫』という小説にも使われているので紹介します。私の大好きな箇所です。

彼と彼以外の凡すべての人間とは、まるで別種類の生物である様に思われて仕方がなかった。この世界の人間共の、意地悪の癖に、あつかましくて、忘れっぽい陽気さが、彼には不思議でたまらなかった。彼はこの世に於おいて、全く異国人であった。彼は謂いわば、どうかした拍子ひょうしで、別の世界へ放り出された、たった一匹の、孤独な陰獣いんじゅうでしかなかった。

青空文庫より引用)

 こういう厭人癖のある、エクセントリックを突っ走って突き抜けた人物を描くのが、乱歩はうまいですね。筆がさえます。同傾向の『鏡地獄』もお薦めしたいです。


一樹の陰

 影の薄いと思われた陰に光を当ててみましたが、陰は意外と影が濃かったことに気づきます。「影、蔭、翳、景」には感じられない独特の存在感もあります。

 とくに淫と通じる陰影は他の「かげ」たちにはないものです。また陰陽という対比が見せる壮大な構図は宇宙観に通じるものがあります。影が薄っぺらくみえるほどです。

 最後に、陰の出てくる「一樹の陰(蔭)」という言い回しを使った文を引用してみます。

 縁は不思議なもので、もしこの竹垣が破れていなかったなら、吾輩はついに路傍ろぼうに餓死がししたかも知れんのである。一樹の蔭とはよく云いったものだ。この垣根の穴は今日こんにちに至るまで吾輩が隣家となりの三毛を訪問する時の通路になっている。

夏目漱石作『吾輩は猫である』・青空文庫より引用)

 新潮文庫版の注解では、次のようになっています。

たまたま同じ木の陰に宿るのも前世の因縁、という意味。


「一樹の陰」自体には隠や淫とのイメージの韻もなく、「木(の)陰」と同様に写生といっていい純粋な描写の趣があり、故事への言及が暗にあるだけのすっきりした言い回しです。

 この一呼吸の短い引用箇所には、この作品の長いスパンが要約および凝縮されていて、見事な点描を感じます。いつもいだく印象なのですが、漱石の自然描写には艶があります。この部分の、垣根、破れ、蔭、穴、(雌猫に会うための)通路という連鎖にも、艶やかな象徴を感じます。性愛(生殖でもあります)の象徴です。

(こう感じるのは、今回陰を見てきたからかもしれません。影が見るものなのに対し、陰は入るものだという気がします。陰は足の裏で踏みしめ、皮膚で感じるものなのでしょう。こうやって陰に光を当てるのは無粋というものです。)

 引用文では、風景描写、動き、時の経過、交友関係、人生(猫生)の奥行きが、いわば一筆でさっと描かれています。さらりとつづってありますが、なかなか書けない文章だと思います。