星野廉の日記

うつせみのあなたに

人間の人形(ひとがた)化、人形(ひとがた)の人間化

 ひょっとすると、人は「それない、ぶれない、あやまらない」もののなすがまま、されるがままを望んでいるのかもしれません。

 もしそうであれば、機械がどんどん人間っぽくなる一方で、人間がだんだん機械っぽくなるというギャグ的な事態をまねく気がします(そして、いつか逆転するとか……)。もう、そうなりかけていませんか。

 ただし、そこまで言ってしまうと身も蓋もなくなるので、もう少し考えてみます。

(拙文「「それない、ぶれない、あやまらない」世界」より引用)


 人は、「それる、ぶれる、あやまる」自分を持てあますどころか、嫌悪しているのかもしれません。

 人は、「それない、ぶれない、あやまらない」ものに導かれたい、身をゆだねたい、支配されたいのかもしれません。

 人は、「それない、ぶれない、あやまらない」ものになりたいのかもしれません。

 究極の「それない、ぶれない、あやまらない」を目指しているのかもしれません。

 まわりを見ていると、そんな気がしてならないのです。

 不死

作る、似る、なる

 人は思う、思いに似せて作る。

 発明、創作、芸術、文学、科学技術

 人は自然のものに自分を見る、人を見る、声をかける、名づける、話しかける、人として扱う、下僕や奴隷にする、恋する、愛する、憧れる、なろうとする、なりすます、なる。

 人は自分に似せたものを作る、声をかける、名づける、話しかける、人として扱う、下僕や奴隷にする、恋する、愛する、憧れる、なろうとする、なりすます、なる。

 人が自分の作ったものをまねる、自分の作ったものに似る、恋する、愛する、憧れる、なろうとする、なりすます、なる。

 人が作ったものが、人をうらやむ、人を憎む、人に恋する、人を愛す、自分を人だと思う、憧れる、なろうとする、なりすます、なる。

 人が自分に似せて作ったものが、人をうらやむ、人を憎む、人に恋する、人を愛する、自分を人だと思う、憧れる、なろうとする、なりすます、なる。

 ナルキッソスエーコー、ピュグマリオン、ゴーレム、『フランケンシュタイン』に出てくる名のない怪物、ドリアン・グレイ、ピグマリオン、トム・リプリーパトリシア・ハイスミス作『太陽がいっぱいリプリー)』)

 人間の人形化、人形の人間化
 人間の物化、物の人間化
 擬人、擬物
 人間の機械化、機械の人間化

 人間のフィクション化、フィクションの人間化
 人間の作品化、作品の人間化

 人間の神化、神の人間化
 人間の動物化、動物の人間化

 人間の仮想現実化、仮想現実の人間化

 道具、玩具、呪術、魔術、魔法、機械、人工頭脳、人工知能、仮想現実

 不死


自然をいじる、加工する

 絵、絵に描いたように美しい、人形(にんぎょう・ひとかた)、玩具、愛玩動物・家畜(品種改良)、映像、二次元、写真のように綺麗

 人工的な美、自然にはない美しさ、不自然な美しさ

 写真や映画やデジタル画像を模倣する作られた演出された現実

 修正、編集、改良、交配、デザイン・設計、外科手術、整形手術

 人は見えないものに魂を売りわたし、見えるが至上の世界に没入していく。

 見るために見えないものが必要な生き物は、おそらく自然から逸脱してしまった人だけ。

 サイボーグ、不老長寿、美容整形、容姿端麗、皮膚が異常になめらか、染み一つない肌、しなやかな動き、理想的なプロポーション、健康

 神話、擬人、伝説、伝承、口承、物語、文字、写本、印刷、フォトコピー

 落書き、壁画、描写、写生、模造、複製

 小説やテレビドラマや映画のような筋書きの日常、会話、人生

 自然を作る、人工の自然

 不死は究極の不自然(反自然というべきかもしれません)であり、究極の人工(人工には必ず目的があります)であり、究極の「それない、ぶれない、あやまらない」(しかも見えません、永遠に目にすることはできないでしょう)ではないでしょうか。

 究極ですから、不死は、たぶん人のオブセッションになっています。人が言葉を相手にしているからだと思います。言葉は人を不死に誘うからです(不死という夢に誘うのです)。とくに不自然の権化である文字です。だから、人は文字から離れられないのです。


人間の非人間化

 マスゲーム、軍隊、制服、合唱、規則、行進、一糸乱れぬ

 法律、戒律、一本化、画一化、支配、階級、階層、代議制、党支配、政党政治

 私は文字になりたい、小説の中で生きていたい、映画になりたい、キャラクターになりたい、登場人物になりたい

 現実逃避、ボバリズム、ボヴァリー夫人ドン・キホーテ

 人形になりたい、人形のような肌がほしい

 私は論理になりたい、哲学になりたい、私は数学になりたい

 私は詩になりたい、私は言葉になりたい、私は物語になりたい、私は小説になりたい

 私は音楽になりたい、私はあの楽曲になりたい、私は音符になりたい、私は音になりたい、私は声になりたい、私は声だけになりたい

 私はゲームになりたい、私は世界になりたい、私は地球になりたい、私は山になりたい、私は海になりたい、私は川になりたい

 私は犬になりたい、私は猫になりたい、私は金魚になりたい

 私はカラスになりたい、私は白鳥になりたい、私はゴキブリになりたい、私はウィルスになりたい

 人は、名づけたものにしかなりたいと思わないのではないでしょうか。呼びかけ、話しかけることは、人にとってとても大切です。

 名前と顔のないものには人は話しかけられません。さらに大切なことは、何かに話しかけたとき、人はそのものになっています。正確にいえば、なりきっています。

 私はあなたになりたい、私はあの人(異性)になりたい、私はこどもになりたい、私はこどもに戻りたい、私は二十年前の私になりたい、私は別人になりたい、私は私になりたい、私は本当の私になりたい

 もはや名前のないものになりたいと思うようになる人。自分には名前はないはずです。自分は世界とのかかわりあいのない場にしかいないからです。かかわりのない場では名は意味を成しません。

 自分と「自分」が離れていく。

 分れた自分。別れた自分。取り戻せない自分。たどり着けない自分。

「見える」だけがある世界。