星野廉の日記

うつせみのあなたに

「何か」が立ちあらわれるとき

立ちあらわれる

 意味とは働きかけなのだと思います。通じないかもしれない相手や対象に働きかけたとき、意味が立ちあらわれる気がします。通じないかもしれない――。その意味で賭けなのです。

(拙文「意味が立ちあらわれるとき」より引用)

「意味が立ちあらわれる」というフレーズを書いたのが切っ掛けで、「立つ」に興味が湧き、連日記事を書いていました。

「あらわれる」はおもしろい働きをする言葉です。それにくっついている「立つ」はどんな働きをするのか、と気になったのです。

 

あらわれたものは、しつこく居直り居続ける

「あらわれる」を「出る」とくらべて見てみましょう。

・出たものは「静止」してはいない。

(拙文「【小話】出たものは「静止」してはいないという話」より引用)

 この点に、注目していただきたいのです。「でる・出る」に似た言葉で「あらわれる・現れる・表れる・顕れる」があります。でも、両者は微妙に異なっているようです。まず、「出る」から、具体的に見ていきましょう。次に「○○は出る」という言い方をする「○○」を挙げ、いったん「出た」後にどうなるかを考えてみましょう。

 いったん「出た」ものは、必ず、何らかの運動に誘発されます。たとえば、いったん「出た」給料も、給付金も、保険金も、うんちも、太陽も、月も、声も、にきびも、幽霊も、新刊書も、選挙候補者も、テレビドラマの役者も、家出したお父さんや、家出したお母さんや、出家したおじさんや、家出したお子さんも、火も、くいも、そのまま静止し続けることはありません。

 一方、「〇〇はあらわれる」という言い方をする「〇〇」を挙げ、いったん「あらわれた」後にどうなるかを考えてみます。

 いったん「あらわれた」ものは、「出た」ものとは異なり、静止したまましつこく居座ることも、往々にしてありそうなのです。真価、効果、正体、正義の味方、英雄、悪の権化、○○の神様、救世主、影響、才能、成果、結果などです。もっとも、影響や結果みたいに、「出る」とも言うものは、概して「不安定」な気がします。

 このように「あらわれる」は、つぎに「しつこく居続ける」という展開になりやすいのではないかと思います。

 

「立つ」は非常事態

「立つ」はただ垂直の動きを示すだけではないようです。語弊や垢がありますが、使い方によっては語弊や垢を招くという意味です。

(拙文「赤ちゃんが立つとき」より引用)

 文字どおりに取れない、言葉どおりに取れないということですから、一種の比喩みたいにレトリックになってしまう。言葉の綾になってしまうとも言えます。

「立つ」はヒトにとって特別な動作のようです。

 なにしろ、聞くところによると、おさるさんに近かった大昔のヒトは四つ足歩行をしていたり、木や枝につかまって移動したり休んでいたり、横になっていたらしいのです。

 みなさんはいま、どんな格好をなさっていますか? 座っていたり、横になっていたり、何かに寄っかかっているのではないでしょうか。

 直立不動の方は少ないと想像しています。直立不動は、意外とつらいものです。歩いているほうがまだましです。

 立つには、力が要ります。筋力も要るし、入れた力を維持しなければなりません。

 緊張もします。気が張りつめるわけです。大げさに言うと殺気立っているのです。

 立つという体勢は人にとって不自然なものだと言いたくなります。一時的な姿勢であって、いつまでも立っているなんてありえないのです。弁慶さんじゃあるまいし。いつかは倒れます。横たわります。

 行き倒れ、野垂れ死に、仰臥、往生、大往生。

 瞑目合掌。

 立っていると、あるいは立って歩いているときに覚える緊張感は、大昔のヒトの時代から蓄積された記憶から来ているのかもしれません。

 立った状態で何かをしていると、びくびくする自分の一部を感じます。襲われるかもしれない恐怖と言いましょうか。何にって、敵です。

「立つ」は非常事態なのです。そのときの人の神経は普通じゃないのです。

 いろいろな意味で。

「立つ」は、人にとって特権的な意味を持つ動作のようです。

 

「何か」が立ちあらわれるとき

「何に?」(追求)と問うことは、得体の知れない「何か」(保留)に挑戦することです。

(拙文「「何か」と「何」から身をかわす」より引用)

 その「何か」(保留)は、世界だったり宇宙だったり真理だったりするでしょう。運命や神だと言う人もいるでしょう。

 保留を追求するなんて、眠っている子をわざわざ起こすようなものです。

 本気でやろうとすれば、世界を背負うことに匹敵します。大昔とか昔に、超エリート中のエリート(いわゆる「昔の」「偉い人」のことです)が世界を背負おうとしました。現在古典と呼ばれているものを書いた人のようです。

 いまはどうなのかは知りません。というか、いまは、世界を背負おうとする「偉い人」は必要とされていないもようです。古典で十分みたいです。

 いずれにせよ、「何に?」や「何?」(追求)と問うのはしんどいということでしょう。半端じゃなくしんどいにちがいありません。

「何?」(追求)にしろ、「何か」(保留)にしろ、「何(か)」を保留している点は同じです。

 要するに、ぼかしているのです。「何」という代名詞は「ぼかし」であり、映像に施す例のモザイクと同じだという意味です。

 ベールに包むという言い方もできるでしょう。

 あえて見ない、無視する、深追いしない、すっとぼける、曖昧放置、「さあね」、「そう言えばそういうのがあったけど知らない」という感じ。

 なぜでしょう?

 怖いからです。

 下手に手を出せば噛まれるどころか、襲われてひどい目に遭うことを本能的に察したときに、「何(か)」を使うのです。

 何かが立ちあらわれる。

「何か」(ぼかし・保留)

「立ち」(非常事態)

「あらわれる」(しつこく居続けます)

 怖いものを、ぼかしておいて、それがしつこく居直り居続けますよ、と非常事態宣言をしているのです。

 この怖いものは何だか分かりません。正体不明だからこそ、よけいに怖いのです。

 しかも、どうやら、いたるところにいそうなのです。いろんな姿と形をしてあらわれそうなのです。

 とりあえずは、「何か」としか言いようがないのです。

 めちゃくちゃ怖いものが、あらわれていますよ、その後いつまでもずっと残るのです、気をつけましょう。

 それがこのフレーズのメッセージです。

 

何って何?

 何って何なのでしょう?

 気になりますよね。

 めちゃくちゃ怖いものって何でしょう? ぼかしを入れなければならないほどヤバいものなのでしょうか?

 それがあらわれているなんて、気味が悪すぎます。後を引くみたいだなんて、気になってなりません。

 何なのでしょう?

 知りません。なんて言うと、叱られそうなので、言いますけど、意味なんです。異味であり、忌みであり、斎であり、イミです。

 世界中の図書館に必ずある本は何でしょう?

 聖書ですか? たしかに世界のベストセラーといわれています。なにしろ翻訳という武器があるために、その言語および方言別バージョンがめちゃくちゃたくさんあります。

 でも、文化や地域によって異なるでしょうね。

 辞書なんです。これはどんな小さな図書館にもありそうです。各家庭にあっても驚きません。

 辞書には何が書いてありますか? そうですね、意味です。正確には語義ですけど、意味です。

 意味にも意味があります。手元の辞書でお調べください。ちなみに、無意味にも意味があります。辞書に載っています。

 恐ろしいですね。

 え? ぜんぜん怖くない、ですか?

 意味の恐ろしさと重大性を体感するのにいい方法があります。

 noteのカテゴリの一覧をご覧ください。

 項目がたくさんありますね。

 どれも、意味を求めたり、考えたり、知ろうとしたり、分かろうとしたりしていませんか(カテゴリは分かれていますが、あれは分かろうとしているからにほかなりません)?

 なぜでしょう?

 得体が知れないからです。分からないし(分けられないし)、答えが出ないから(誰か出していますか)、です。不明なのです。

 しかも、いつどこでどういう形を取るかは分かりません。特定できないのです。

 要するに怖いのです。でも、怖いことはふつう隠します。ぼかします。かっこ悪いからでしょう。

 分からない、知らないと同じく、怖いというのは体裁が悪いのです。ヒトはプライドが高い生き物です。だから隠します。自分を見ていての感想です。

 あと、忘れているとか、気づかないこともよくあります。忘れていました。

 

意味禍が終わるとき

 人は意味に取り憑かれています。

 意味禍はヒトが言葉を持ってしまってからずっと続いています。

 文字を持って、意味禍に拍車がかかりました。

 まさに、あらわれて、しつこく居直り居続けいるではありませんか。

 それなのに、「何(か)」としか言えないのです。分からないままなのです。

 さっき「意味」だって言ったじゃないか? そうおっしゃるのも当然ですが、意味には意味がないのです。ナンセンス。ここだけの話ですが、そういう不条理で荒唐無稽で理不尽とも言える話なのです。

 でも、ナンセンス、無意味ほど怖いものはこの世に――ヒトの世のことです――ないのです。無意味という深淵を覗きこむと危ういことになるからです。覗いちゃ駄目です。

 そんなわけで、意味とか無意味と名指したところで――どちらも同じです――意味はないのです。「何か」と保留したほうが何かと都合がいいのです。

 保留にしたまま、警戒を解かずにいる。これが「何か」を相手にするときのコツなのです。

 名づけて、手なずけたつもりになったときがいちばん怖いのです。チョロいものだと、気が緩み警戒を解いてしまうからです。

 そうです、お察しの通り、判断停止と思考停止のことです。これが、おそらく、相手よりも怖いのです。

「何かが立ちあらわれる」――これはいまもいたるところで起きているのです。その意味では、私たちの友だちでもあるのです。

 でも、舐めてはいけません。本質は怖いものですから。しかもその姿形はうつろい、変わるのです。いたるところで姿を変えてあらわれるというのです。

 そんなどっちつかずの性質を持っていますから、逆に言うと、特定するのは賢明な方法ではありません。「何か」と保留したまま、備えるのがいちばんです。

 意味禍は終わりそうもありません。いや、終わる危険に、いまさらされています。この星からヒトがいなくなれば、意味は消えます。

 あなたのいちばん古い友だちです。私たちみんなの古くからの友だちです。

 仲良くしましょう。さいごまでいてくれますよ。あなたのさいごまで、私たちのさいごまで。

(拙文「世界にシンクロする」より引用)

 この意味はお分かりになりますよね?

 しつこく居直り居続けるものが立ちあらわれた以上、立ちあがる時は今だと思います。非常事態です。