星野廉の日記

うつせみのあなたに

「何か」に「何か」を

「何か」に「何か」を見る。

 このフレーズで連想するのは、壁の染み、天井の模様、雲、そして占いです。そのさまを思いえがくとぞくぞくします。このぞくぞくは懐かしさをともなうのです。

 幼いころに、身のまわりのいろいろなものを見たり眺めていたとき、たぶん「何か」に「何か」を見ていた気がするのです。飽きませんでした。ずっと眺めていたかったという記憶がよみがえってきます。

 空想や想像という言葉も連想します。見ているようで、何か別のことを考えている。別のものを見ている。別のものと重ねている。別のものがやって来ている。

 見ることの難しさを感じます。「何かそのもの」を見ることの難しさのことです。必ず、「何か別のもの」を見ているのです。置き換えているのかもしれません。

「何か」をその「何か」ではないものに置き換える。

 こどものころから、落ち着きがない、ぼんやりしている、と言われてきました。「いま」と「ここ」が嫌だった気がします。

 どこか遠くに行きたいとよく考えていました。「いつか」を夢見ていたようにも思いだされます。

 あのころは、目の前のものや出来事をよく見ていなかった気がします。いまも、そんな気がしてなりません。

 いま、身のまわりを見まわすと、やっぱり見ることは難しいと感じます。

「何か」に「何か」を見るとき、前者の「何か」と後者の「何か」は違うはずです。異なるはずです。別のはずです。

 見るだけにとどまりません。

「何か」に「何か」を読む。「何か」に「何か」の匂いを嗅ぐ。「何か」に「何か」の臭いを嗅ぐ。「何か」に「何か」の手触りを感じる。「何か」に「何か」の味がした。「何か」に「何か」が聞こえた。「何か」に「何か」のたたずまいを感じた。「何か」に「何か」の気配を感じた。「何か」に「何か」がいた。「何か」が「何か」だった。

(拙文「世界の意味、意味の世界」より引用)

 上のリストを眺めながら、そこに見えてくるものを、これからしばらく書いていこうと思います。