星野廉の日記

うつせみのあなたに

世界の意味、意味の世界

いったい何なのか?

 ある詩を読んだとします。涙が出たとします。

「それはAIが書いたんだよ」

 ある文章を読んだとします。わくわくどきどきしました。自分に宛てた手紙のように読めて、居ても立ってもいられない気持ちになったとします。

「その文章の各行の出だしの一文字だけを続けて読んでごらん」

 この短歌の韻を説明せよ。

「意味あるの?」

 この俳句の隠喩を説明せよ。

「なんで?」

「この詩の掛け詞について論じなさい」

「先生、掛け詞と駄洒落って、どう違うのですか?」

「別称と蔑称みたいなものと言えば、分かるかな?」

 おもしろく読んだ文章が、あるいは感心した文章が、アナグラムだったり、回文だったり、言葉遊びだったり、何かの暗号であったり、メッセージであったりする。

 ずっと聴いていて大好きな音楽が、メッセージソングだと言われて、その意味や解釈を丁寧に解説される。

 抽象画だと思ったのが、ゴリラの描いた絵だった。機械が描いたものだった。孫の描いたものだった。娘の描いたものだった。自分のこども時代に描いたものだと親に打ち明けられた。

 作品は作者から離れて存在するという考え方がどうも理解できない。まっとうな意見だと思えない。考えただけでむかむかする。

 AIの創作と聞くと、なぜか感情的になって血圧が上がる。

 回文とアナグラムからなる詩に涙した自分が許せない。

 外国人の詠んだ俳句だと聞くと身構える自分がいる。その人の母語が日本語だと聞いてほっとする自分もいる。

 漢詩や西洋の詩の韻が駄洒落に思えてならない。

 韻や掛け詞のある詩に抵抗がある。

 創作における、でたらめと偶然と技巧と作為の違いって何だろう。そもそも違いなんてあるのか。

 やっぱりレトリックはトリックだと思う。好きになれない。

 短い定型詩にそっくりな作品や同一の作品が生まれるのは、確率の問題だのか、偶然の所産なのか、独創性の欠如なのか、無意識の引用なのか、無意識の剽窃なのか、気にすることなどないのか、作者が違うでしょとか背景と文脈が違うでしょと抗議すればいいのか。

 友達が酔っ払って書いた詩が大賞を取った。自分の作った短歌が盗作だと言われた。尊敬しているとみんなに言っていた作家が不祥事を起こした。

 がっかり。屈辱。絶句。唖然。呆然。ぶ然。怒り。ふて寝。

「え!」、「ばかやろう!」、「うっそん」、「あらら」、「まいったな」、「……」、「むきーっ」、「そうなの?(無表情)」、「ふーん(平気な顔)」、「あんたさあ」

 意味はどうやって決まるのでしょう?

 決めるのでしょうか、決まるのでしょうか?

 意味を人は決めることができるのでしょうか?

 意味は自立しているのではないでしょうか? 意味は世界と同じように多であり、他なのではないでしょうか? 他者であり多者なのではないでしょうか?

ほのめかしとしての世界

 世界はほのめかす

 ほのめかす世界

 ほのめかしとしての世界

 世界はほのめかしに満ちている

 以上のフレーズが並んでいる、あるいは並べられているさまを見ていると、それぞれにほのめかしを感じます。同時に、四つ並んでいること、あるいは並べられていることにも、ほのめかしを感じないではいられません。

 ほのめかしが気になるときりがありません。

 世界がほのめかしに満ちていると感じるとすれば、それは苦しいでしょうね。何もかもが意味ありげに思えてくるのです。こうなるとほのめかしではなく、謎ではないでしょうか。

 意味、メッセージ、謎とその答え、正解。

 謎めいている。意味ありげ。

 この言い方の裏には、じつは謎などはないとか、意味があるようでないのではないか、という疑いの念を感じます。まさにほのめかしですね。「〇〇めく」とか「〇〇げ」は疑いの素なのでしょうか。

「もっともらしい」にも通じますね。「もっともらしい」なんて口にすると批判、場合によっては罵倒あるいは悪態です。もっともらしいものが、いらいらの原因になるのはうなずけます。

 うちの娘が、さいきん、〇〇テレビの△△アナウンサーが自分に合図をしているって、しきりに言うんです。ネクタイの色が茶系だと何とかいうメッセージだとか、最後の挨拶に何通りかあって、それがこの間送ったメールの返事になっているとか。将来結婚する約束をしたとも真顔で言うんです。あ、夢で約束したらしいのですけど……。

 上の文章には意味がありません。隠れた意味もないはずです。たぶん、ですけど。いったん書いた文章は離れていきますので。読み手次第ということにもなります。

 とにかく、いま即席で書いただけです。

 メッセージなんてありません。隠喩でもありません。韻も踏んでいないはずです。何かの合図でもないです。アナグラムでも回文でもAI作でもありません。

 ほのめかすについて書いていると、ほのめかした書き方になってしまいます。うつるんです。

 混乱させて申し訳ありません。

 大丈夫ですよ。心配要りません。意味を取れなくなるほうが危ういそうです。

「何か」に「何か」を見る

「何か」に「何か」を見るとき、前者の「何か」と後者の「何か」は違うはずです。異なるはずです。別のはずです。

 見るだけにとどまりません。

「何か」に「何か」を読む。「何か」に「何か」の匂いを嗅ぐ。「何か」に「何か」の臭いを嗅ぐ。「何か」に「何か」の手触りを感じる。「何か」に「何か」の味がした。「何か」に「何か」が聞こえた。「何か」に「何か」のたたずまいを感じた。「何か」に「何か」の気配を感じた。「何か」に「何か」がいた。「何か」が「何か」だった。

 意味禍、メッセージという悪夢、「正解があるにちがいない」という強迫観念。

 意味は被害妄想に似ています。意味は怪談にもなります。

 悲劇にも喜劇にもなるでしょう。あと、惨劇にも。意味は劇薬かもしれません。

 意味はギャグにもなります。ちなみに、無意味には意味があります。辞書にも載っているくらいです。もちろん、ナンセンスにもちゃんとした意味があります。そう考えると安心する自分がいます。

あらゆる物に何かの意味があるらしい

 だいぶ前のことですが、翻訳の仕事をしていたころ、交渉術についての本の訳出にかかわったことがあります。調べ物をしながら、ビジネス、外交、政治、裁判の現場だけでなく、日常生活においても、人は交渉しているのだなあと感じました。

 で、いまでも覚えているのは、外交における交渉の場では、遅刻したかしないか、どちら側が早く来たか、相手の仕草、姿勢、発声の仕方、視線、服装、テーブルに置かれた物の位置……、こうしたありとあらゆるものやことが、何らかの意味を持っているという話です。

 疑心暗鬼という言葉を連想しました。なにもかもが意味を持っていて、その意味を解読しなければならないとしたら、苦しくないですか。被害妄想や強迫観念の世界です。

 ほのめかしの面倒くささは、かまってちゃんに似ています。世界がかまってちゃんに満ちている状況を想像してください。面倒くさいどころか、発狂しますよ、きっと。

 外交や国際政治や地政学といった領域では、ありとあらゆるものが意味やメッセージがあるものとして扱われます。

 あの軍事練習はどういうシグナルを送っているのか。あの演習のおこなわれた日時と場所と、他の国際情勢とのタイミングから、指導者が危機的な心理状態にあると考えられる。あの演習の直前にあったパレードでの、指導者の顔色が悪く、視線が泳いでいたのは、健康状態に異変があるからではないか。

 そういえば、敵が報道した映像での捕虜のまばたきがモールス信号だったという話を思いだしました。たしか「torture(拷問)」という言葉だったとか。

 こうした意見や感想や印象が、マスコミで飛びかいます。いろんな人がいろんなことを言います。かまってちゃんに振りまわされているドMちゃんみたい。なにしろ、とてもうれしそうなのです。

 間諜(久しぶりにつかう言葉です)、つまりスパイは国際政治の末端で働くひとたちです。スパイの本家である英国のスパイ小説は、じつに具体的な細部に満ち、丁寧に書かれていてぞくぞくします。

 intelligenceに防諜、諜報、諜報機関、諜報部員の意味があるのは、興味深いです。知能だけではないということです。AIのIであり、CIAのIでもあるわけですが、こういうのを目の当たりにすると、意味ありげに見えてきて、こうした符合を符号に感じてしまいます。

「何か」は「何か」のしるし

「何か」が「何か」のしるしである。

 これは占いの構造かもしれません。

 〇〇占い。

 しるし、印、標、徴、証、記。

 サイン、シーニュ、シグナル。

 sign、signe、signal。

 レヴィ=ストロース、リーバイス、リーバイ・ストラウス。

 Lévi-Strauss、Levi's、Levi Strauss。

 記号、符号、象徴、表象、暗号。

 合言葉、符牒、符帳、符丁、隠語、パスワード。

 解読、解釈、理解。

 悟り、開眼、覚醒。

 発見、霊感。

 洞察、直観。

 錯覚、知覚、まぼろし、幻、幻想、幻覚。

 空想、想像、推測、憶測、妄想。

 要するに、丁寧な文面だけど、このメールはあなたの最近の態度に怒っているわけね。

 つまり、この記事は、あなたへの当てこすり。たぶん、ね。

 たくさん書いてあるけど、けっきょく、「だめ」って返事よ。

 あの帽子はね、「さようなら」というメッセージだと思うの。

 この記事のメッセージはただ一言、「かまちょ」だと思えば、腹も立たないでしょ?

 この花の花言葉って何だっけ? 

 あ、これね……。一言で言うと「ちょめちょめ」よ。

 隠喩の代わりに暗喩って書いてあるでしょ。これ、換喩よ。

 ここはアリュージョンというよりイリュージョンです。

 駄洒落を文字どおりに取ったり、真に受けちゃ駄目です。

Aと書いてありながら、じつはBであったりする

 英国のスパイ小説で思いだしましたが、伝統的な英国の小説は、ほのめかしと当てこすりに満ちています。それが読みにくさにつながっているといえそうです。

 Aと書いてありながら、じつはBであったり、ひょっとするとCであったりするのです。

 私は、わりとこういう書き方が好きです。自分に似ているからかもしれません。

 ここで一つ指摘しておかなければらないのは、『日の名残り』と『わたしを離さないで』に限らず、イシグロの小説では事実や思いを遠回しに語ったり、真実を曲げて語る話者が目立つということです。話者ではなくも、ストレートにものを言わない登場人物が多い気がします。

 それが英国の小説っぽさなのかもしれません。さっと読んで意味を取ろうとしても、一筋縄ではいかないのです。英国製の小説を読んでいて、ある箇所で詰まってしまい、考えこむことが私にはよくあります。いったい何を言いたいのだろうと裏の意味を考えているのです。

(拙文「素晴らしき敬体小説」より引用)

振りをする世界

 世界は符号である。

 世界は一つの大きなクエスチョンマークである。

 世界は無数の謎の記号からなる大きな疑問符である。

 でまかせに即席でつくったフレーズですが、なんだか謎めいて意味ありげに思えてしまいます。

 全部が全部とは言いませんが、大半のほのめかしには実体がないのかもしれません。もちろん、意味もメッセージもないという意味です。

 ふりがあるだけ。身振りの「ふり」です。

 ふりをなぞる。なぞをなぞる。

 世界は空疎なほのめかしである。

「ほのめかす」などじつはなく、この世にあるのは「ほのめかされる」ばかりである。

 森羅万象とはパントマイムをする身体のない大道芸人の笑いである。

曖昧放置プレイ

 両義性や多義性と同じく、ほのめかしは、曖昧とほぼ同義です。

 訳の分からないほのめし方をされると、曖昧なままに放置された気がします。

 詩や哲学というジャンルでは、この曖昧放置がプレイとして用いられます。ここのでのプレイは、まさに多義的であり、遊戯・遊技・演劇・演技・競技といった意味あいを持ちます。

 面倒くさいですね。こんなんで放置されたくないですよね。

 マラルメニーチェも結果的に曖昧放置プレイがうまい人だったという印象があります。ニーチェはがむしゃらに矛盾と逆説を具現し、マラルメは徹底してほのめかすという手法で読む者を曖昧に放置しました。
 禅の公案世阿弥芭蕉、そして腹芸という具合に、曖昧放置プレイがお家芸ではないかと思われるこの国にも、マラルメニーチェドゥルーズの信者が多いのは注目すべき現象ではないでしょうか。
 今挙げた固有名詞たち――曖昧放置プレイの名人――に共通するのは、真理とか事実とか悟りとか覚醒という言葉が世迷い言だと看破し、概念とか観念とか学術用語とかいう言葉が対応を欠く空虚な記号である、と生真面目に受け止めてしまったという点ではないでしょうか。

(拙文「曖昧放置プレイの名手たち」より引用)

世界は隠喩である、隠喩としての世界

 以心伝心、腹芸、顔芸。

 シュール、不条理、わけがわからない。

 比喩、隠喩、暗喩、たとえ、寓意、象徴的。

 寓意とか隠喩と言えば、文学作品のほかに、黙示録やノストラダムスラテン語で書いた文章を思いだします。

 におわす、暗示する。それとなく言う。当てこすり。言外の意味。行間を読む。余白を読む。オブラートに包む。裏読み。

 連想。推理。霊視。邪推。解釈。理解。こじつけ。論理。

 忖度。憶測。共同幻想。妄想、幻想。

 指示、指令、合図。

 難解、晦渋。

 曖昧、謎、不可解。

 こうした言葉がある種の魅力をもち、ある種の人たちを惹きつけてやまないのは事実のようです。

 訳の分からないものに魅力を感じる人もいます。感心する人もいます。

 有り難く頂戴し、その前で身もだえしながらひれ伏すのです。

 へそ天的というか、マゾッホ的状況だと思います。宙づり=サスペンスは気持ちのいいものです。私も大好きです。

 世界は外にあって自立した「何か」なのかもしれません。

 私たちは、それを知覚と言葉と気配をとおして、ながめるだけ。

 それが何なのかは、賭けるしかない。そんな気がします。掛けられ、宙づりにされているのは私たちなのです。

 そう考えると、やはり「何か」は私たちの思惑とは無関係に自立した「何か」なようです。

 大きな劇場にたったひとりで椅子に縛られて身動きできない状態で、スクリーンに向かって視線を動かすだけ。

 隔靴掻痒の遠隔操作。

 夢に似ています。夢は強制的に見せられる映画。自分が参加することも、操ることもできないとりとめのない映画。

 その映画の意味は「何か」とひとりでつぶやくしかなさそうです。

 その映画はいつ終わるかもわからない。ただ飽きることはなさそうです。

 夢はあれよあれよ。すべてが肯定される世界。異議なんてない。

 夢がつまらないと感じたことがありますか?

 楽しみましょう。夢かもしれないこの夢を。

 夢だと思えば、あくびも堪えられます。