星野廉の日記

うつせみのあなたに

どうして嘘をつくのか

 どうして人は嘘をつくのでしょう。

 最近よく考えます。話が広がりすぎるので文言を変えます。

 どうして代理は嘘をつくのでしょう。

 こうなります。

 代理とは人びとが選んだ代表とか代理人という意味です。言い換えると為政者です。まつりごと(政)を為す人たちです。為政者とは、具体的には公務員・官僚、議員、政治家と呼ばれる人たちです。司法・立法・行政をつかさどる人たちです。

 国民は嘘をつかれる側になります。選んだ者に嘘をつかれるとは。飼い犬に手を噛まれるに似ていますが、それでは飼い犬がかわいそうです。犬はめったに飼い主の手を噛まない気がします。

 そもそも飼い主と飼い犬、〇〇する側と〇〇される側という分け方が、分からなくなっている。境目が不明になっているのではないでしょうか。

※もちろん、素晴らしいお仕事を誠実に遂行されている公務員・官僚、議員、政治家もたくさんいます。人それぞれです。

 人間は人間よりも、もっともっと偉い存在がいて、自分がその代理を務めたいという、願望=欲求=祈り=野望を持っているのではないでしょうか?

 Aにはなれないから、Aの代わりを演じます。Aみたいな顔をしてみます。Aの仮面を被り、表情を真似て、時にはお化粧もし、かつらも付けたりもしてみます。

 どうです、似合うでしょう? 様になるでしょう? だって、こんなふうに化ければ、○○様なんて呼ばれるんですもの。偉く見えるんですもの。いいじゃないの。

 そんな具合に、偉く見えるから、崇め奉られる。ちやほやされる。甘やかされる。そして、ますます図に乗る。どうして、こうなっちゃったんでしょう? 昔々と関係ありそうです。

(拙文「【小話】お代理さまたちのひな壇」より引用)

 それにしても、代理はなんであんなに偉そうにしているのでしょう。

 権力という後ろ盾があるからだと考えられます。その権力を代理に託してしまったからです。誰がって、人びとがです。権力とは、たとえば、合法的に違法行為ができます。人を拘束したり、人に暴力を振るったり、人を殺めたりすることができるという意味です。

 権力とは腕力であり武力です。具体的に言えば銃を撃つように命令できる権利として存在します。〇〇の場合に限り、人を拘束できるし、人に対して暴力を振るえるし、人を殺めることができる。

 こう決めれば合法です。誰が決めるのかと言えば、代理たちです。普通は複数です。ごく一握り、つまり少数であったり、多数であったりします。

 代理による権限の委譲が異常な事態を招いているようです。権限と権力の集中です。多数の人びとの力が、一部に集中するのが代議制の仕組みです。

 ごく少数が決めて、形式的にみんな、つまり国民が決めたことになるのです。これが代議制の原理です。この原理も決めたものです。誰が決めたのかは知りません。この種の勉強不足は恥ずべきことだと反省しています。

 たった一人が決めて、形式的に複数や多数で決めたことになる場合もあります。怖いですね。たったひとりを誰もとめられない状況になっているようです。

 どうしてそうなったのでしょう。

 何かの代わりに何かではないものを用いる。

(拙文「代理としての世界 -1-」より引用)

 ヒトやヒト以外の生き物たちは、世界と直接的に触れらない。その代わりに知覚機能を使っている。知覚で世界に触れる。

 いわば隔靴掻痒(かっかそうよう)の遠隔操作です。長靴を履いた足の痒いところを、孫の手の先を使って掻くようなものです。

 代理の仕組みを使った名案とも言えます。もどかしくままならないですが、それしか方法がないのです。

 ヒトもほかの生き物たちも、世界にはたどり着けないし、触れることさえできないのです。代理を使わない限りは。

 代理が何を代理するのかは、不明である。

(拙文「代理だけの世界(2)」より引用)

 世界という直接に触れられないものを、知覚機能を用いて知覚しているとすれば、知覚されているものは不明ということになります。目隠しをして象さんを触れるようなものですから、象さんは見えないのです。象の全体像が見えない。

 代わり、つまり代理を相手にしているのですから、現物がどういうものかが分からないのは当然でしょう。

 まつりごとの世界でも、似たことが起きています。人びとが権力をゆだねたはずの為政者、つまり代理がどういう人で何をしているのか、そして何を考えているのか、不明になっているのです。

 代理の暴走、つまり代理が勝手に振る舞っている事態を制御できなくなっています。代理を知覚機能や為政者というレベルで考えているだけでは、この制御不能の事態をとらえることはできない気がします。

 どうして代理は嘘をつくのでしょう。

 この国を見ていると、代理たちは法に触れたくないから嘘をつくのだと思われます。法とは言葉です。言葉で決めた数々の法律、つまり決まりに触れたとなる決まりが悪いどころでは済みません。罰せられる可能性が出てきます。

 だから代理たちは嘘をつくのでしょう。言葉のうえで決まりを犯していないように体裁をつくろう。辻褄を合わせる。これが嘘です。ご飯論法、詭弁、屁理屈、文書改ざん・書き換えといったものは、言葉のうえでの辻褄を合わせることです。

  言葉を重んじると軽んじるが同時に起きています。本当に重んじなければ、無視するだけです。愛するの反対が憎むではなく無視するのと似ています。無視することができないので、言葉を重んじて筋が通ったように見せるわけです。それでいて軽んじている。権力を持っていると、これが可能になります。

 舐められたものです。誰がって、国民がです。代理たちが国民をチョロいものだと思っているとしか考えられません。一般人であればとうてい通らないような筋が、権力の後ろ盾がある人には可能になるのです。

 これは安定多数や絶対多数を得た権力が用いる常套手段です。

 それだけではありません。公文書や情報は権力が保管していますから、隠蔽や改ざんが進みます。代理のやりたい放題になります。こうなると国民はもはや監視ができなくなります。マスコミも代理たちに丸め込まれています。

 逆に国民とマスコミが監視の対象になります。監視が規制と取り締まりへと発展するのは、これまでの歴史が教えてくれます。歯止めがなくなるという意味です。絶対多数を得た権力が進化して、ほんの一握りの人たち、あるいはたった一人が絶大な権力を握っている場合を考えてみましょう。最強最高の代理の話です。

 どうして最強最高の代理さえが嘘をつくのでしょう。

 最強最高の権力を持っていれば、何もそして誰も怖いものはないはずです。でも、その上には上があるようです。

 たぶん、それは言葉ではないかと思います。最高最強の代理さえも恐れる超越した存在は、言葉である気がしてなりません。そもそも言葉は代理です。直接的に世界と向きあえないし触れあえないから、その代わりに言葉を使っているのです。

 直接的に猫と触れあう代わりに、猫を知覚機能を使って知覚する。さらには、その猫の代わりに「猫・ねこ・ネコ・neko」という言葉を使うと考えると分かりやすいと思います。

 そんな代理である――偽物あるいは似せたものである――言葉を、最強最高権力者さえもが恐れているように見えます。

 言葉のうえでの辻褄を合わせ、言葉のうえでの体裁をつくろおうと懸命になっているかのようです。「白い鳩とは黒いカラスだ」と言って、同意を求める。それが「意義なし」と決議されて、法になる。

 いちおう手続きは取っているのです。なんで? なんでそんな面倒なことをするのでしょう? 言葉に気兼ねし、言葉に忖度しているようではないですか。言葉を重んじている。言葉にひれ伏しているとしか見えません。

 そもそも言葉は代理です。本物であり現物である世界や事物の代わりですから、偽物とも言えます。偽物という言い方に抵抗を感じれば、似たもの、似せたもの、似ているものでもかまいません。

 なんで? なんで、最高権力者、つまり代理が偽物(あるいは似たもの)にひれ伏すのでしょう?

 偽者だから? 偽者が偽物にひれ伏す? 似たもの同士だから?

 こんなの駄洒落を使った悪態じゃないですか。悪態をつくだけでは、むなしいです。情けないです。

 なんで代理である権力者が、代理である言葉にひれ伏すのでしょう? 自分が立てた問いですので、自分で考えるしかなさそうです。